「結局、上司に気に入られてるかどうかだろ」
「結局、上司に気に入られてるかどうかだろ」
評価の話になると、だいたいこういう空気になる。
正しいかどうかは分からないが、
そう感じたことがある人は多いはずだ。
一度でもそう感じたことがあるなら、それは普通だ。
努力しているのだから評価されるべきだ。
成果を出しているのだから認められるべきだ。
この感覚自体は、何も間違っていない。
ただし問題は、
その前提のまま会社の評価を見ていることだ。
ここがズレると、評価はずっと理不尽に見える。
評価の構造
まず前提として、はっきりさせておく。
会社における評価は、
人格や努力への評価ではない。
多くの人がここでズレるのは、
これまで受けてきた評価と、会社の評価が違うからだ。
学校では、
努力しているか
態度が良いか
といった要素そのものが評価対象になる。
だが会社では、その前提が存在しない。
会社が見ているのは、
「感情」ではなく「機能」だ。
ここで言う機能とは、
その人が担っている役割が、組織の期待通りに動いているか
という意味であり、
極端に言えば「部品として予定通り動いているか」に近い。
もう少し正確に言えば、
どの役割を
どの水準で
安定的に果たしているか
それだけを見ている。
だから、
どれだけ忙しくても、
どれだけ苦労していても、
その機能が期待水準を満たしていなければ、評価は上がらない。
逆に、
本人の性格や過程に関係なく、
役割を満たしていれば評価は一定以上で固定される。
ここで、多くの人がつまずく。
「こんなに頑張っているのに」
「誰よりも忙しいのに」
「現場では感謝されているのに」
この違和感は当然だ。
だがこれは、会社が冷たいからではない。
評価制度が壊れているわけでもない。
評価制度は、
感情を排除するために存在している。
会社にとって、
「誰がどれだけ頑張ったか」を正確に測ることは不可能だ。
だから、
役割
責任範囲
成果の定義
再現性
といった要素に分解し、
評価可能な形に変換している。
そして、この評価とセットで存在するのが
個人目標だ。
多くの人は、個人目標を
自分で考えるもの
上司と相談して決めるもの
と捉えている。
だが構造的には違う。
個人目標は本来、
会社全体の目標から順に分解され、
機械的に決まっていく。
会社目標
→ 部門
→ チーム
→ 個人
という形で落ちてくる。
つまり個人目標とは、
自由な設定ではなく、
全体目標を分担した最小単位に近い。
ここで重要なのは、
個人の意思や納得感は本質ではないという点だ。
あくまで、
全体最適の結果として役割が割り当てられている
それだけの話だ。
この構造を知らないと、
評価は「理不尽」に見える。
理解すると、
評価は「仕組み通りに動いているだけ」に見える。
ここまでを前提にすると、見方は変わる。
評価が低い
=努力が足りない
ではない。
評価が高い
=人間的に優れている
でもない。
評価とは、
会社の中で役割をどの水準で果たしたかを見る仕組み、
と考えると理解しやすい。
だから、評価に対してやるべきことは一つだけだ。
過剰に意味づけしないこと。
納得する必要はない。
ただ、
評価は人格ではない
評価は機能である
ここを理解しておくだけで、
無駄な消耗は確実に減る。
次の疑問
この時点で、もう一つの疑問が出てくるはずだ。
「それでも評価はおかしいのではないか」
実際、
評価はさらに別の理由で歪む。
👉 次の記事
①-2 評価はなぜ「椅子取りゲーム」になるのか
ここが分からないと、
評価の違和感は消えない。
次回予告
この構造を前提にすると、
評価の見え方は少し変わる。
もしこの前提がズレていると感じるなら、
次の記事で扱う内容も見てほしい。
①-2 評価はなぜ「椅子取りゲーム」になるのか

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