「諦める」という言葉は、悪く聞こえる
どこまで我慢すればいいのか。
会社員だから仕方ないのか。
諦めたら負けなのか。
でも、期待し続けるのもしんどい。
何を諦めて、何を諦めなくていいのか分からない。
会社員として働いていると、こういう迷いが出てくる。
評価に納得できない。
上司に理解されない。
異動や配置に振り回される。
仕事量に偏りがある。
会社の説明が足りない。
制度はあるのに、現場ではうまく運用されていない。
そのたびに思う。
これは我慢すべきことなのか。
それとも、声を上げるべきことなのか。
会社員だから受け入れるしかないのか。
それとも、自分の人生を守るために線を引くべきなのか。
ここが曖昧なままだと、会社員生活はかなりつらくなる。
「諦める」という言葉は、悪く聞こえやすい。
諦めることは負け。
諦めることは逃げ。
諦めることは成長を止めること。
諦めることは会社に従うこと。
そう見える。
たしかに、何でも諦めてしまうのは危うい。
自分の生活も、健康も、選択肢も、将来も、すべて会社任せにしてしまえば、自分の人生の主体を失う。
しかし、会社員生活には、必要な諦めもある。
会社がすべて説明してくれること。
評価が完全に納得できること。
全員が公平に感じること。
上司が常に正しく理解してくれること。
制度が完璧に運用されること。
こうしたものを期待しすぎると、現実との差でつらくなる。
諦めるとは、負けることではない。
変えにくいものと、守るべきものを分けることである。
会社員に必要なのは、すべてを我慢することではない。
何を諦め、何を諦めないかを自分で見極めることである。
会社員として諦めるべきこと
会社員として働くなら、ある程度諦めた方がよいことがある。
これは、会社に従えという意味ではない。
不満を持つなという意味でもない。
何も言わずに我慢しろという意味でもない。
会社という構造上、完全には期待できないものがあるという話である。
まず、会社がすべて説明してくれること。
会社の判断には、本人に説明できるものと、説明しにくいものがある。
人事情報。
評価調整。
異動の背景。
組織上の事情。
他の社員との比較。
経営判断。
将来の人員計画。
これらは、すべてが本人に開示されるわけではない。
だから、会社からの説明だけで完全に納得することは難しい。
次に、評価が完全に納得できること。
評価は、努力の採点だけではない。
成果、役割、期待、相対比較、原資、ポスト、上司の見え方、組織事情。
さまざまな要素が絡む。
だから、自分の実感と評価がズレることはある。
頑張ったのに評価されない。
あの人の方が評価されている。
自分の見えない仕事は評価されにくい。
そう感じる場面はある。
評価に不満を持つことは自然である。
ただし、評価が常に完全に納得できるものになると期待しすぎると、毎回傷つく。
全員が公平に感じることも、ある程度諦めた方がよい。
会社は制度、前例、役割、リスク、説明可能性を見て判断する。
しかし、従業員は自分の仕事量、評価、生活、納得感でフェアを見る。
この二つはズレる。
会社としては公平に処理しているつもりでも、本人や周囲には不公平に見えることがある。
全員が同じように納得する状態は、かなり難しい。
自分の事情が常に優先されることも、期待しすぎない方がよい。
家庭の事情。
健康の事情。
通勤の事情。
希望する仕事。
避けたい異動。
やりたいキャリア。
どれも大切である。
しかし、会社は個人の事情だけで動くわけではない。
人員配置、事業計画、欠員補充、育成、組織再編、コスト、リスク。
会社側にも事情がある。
自分の事情が常に優先されるわけではない。
会社が自分の人生を守り切ってくれることも、期待しすぎない方がよい。
会社は給与を払う。
社会保険もある。
制度もある。
働く場を提供してくれる。
これは大きい。
しかし、会社は自分の人生全体を設計してくれるわけではない。
健康、家族、将来の選択肢、学び直し、社外での価値。
これらを会社だけに任せるのは危うい。
上司が常に正しく理解してくれることも、諦めた方がよい。
上司も人である。
忙しい。
情報も限られている。
説明力にも差がある。
部下全員を同じ深さで見られるわけではない。
上司に理解されたいと思うのは自然である。
ただし、上司が常に自分の状況や気持ちを正しく理解してくれるとは限らない。
制度が完璧に運用されることも同じである。
制度はあっても、現場ではズレる。
ルールはあっても、運用する人によって差が出る。
理想通りには回らない。
前例や慣習が残ることもある。
制度は重要である。
しかし、制度があるからすべて解決するわけではない。
会社員として諦めるべきことは、会社に絶望することではない。
会社という構造に、過剰な期待をしないことである。
なぜ諦める必要があるのか
なぜ、これらをある程度諦める必要があるのか。
理由は、会社が個人の納得だけで動いているわけではないからである。
会社は全体最適で動く。
一人ひとりの希望を完全に満たすことはできない。
部署ごとの人員を見なければならない。
売上や利益も見なければならない。
リスクも見る。
前例も見る。
他の社員への説明可能性も見る。
その結果、個人から見ると納得しにくい判断が出る。
制度にも限界がある。
制度は、全員に共通して使うための枠である。
だから、個別事情をすべて吸収できるわけではない。
制度を柔軟にしすぎると、今度は不公平に見える。
制度を厳格にしすぎると、個人の事情を拾えなくなる。
どちらにも限界がある。
評価にも限界がある。
評価には原資がある。
ポストがある。
相対比較がある。
上司の観察範囲がある。
成果の見えやすさ、見えにくさもある。
だから、努力がそのまま評価に反映されるとは限らない。
人事も上司も万能ではない。
上司はすべてを見られない。
人事はすべての社員の気持ちを個別に受け止めきれない。
経営は現場の細部までは見えない。
現場は会社全体の事情をすべて知っているわけではない。
会社は人が動かしている。
だからこそ、判断には限界がある。
全員を納得させることも難しい。
ある人に配慮すれば、別の人に負荷がかかる。
ある部署に人を増やせば、別の部署の人員が不足する。
一人を昇進させれば、別の人は選ばれない。
ある人の異動を避ければ、別の人が異動する。
会社の判断には、だいたい誰かの負荷が含まれる。
ここを理解しないまま、会社に完全な納得を期待するとつらくなる。
繰り返すが、これは会社の判断をすべて受け入れろという意味ではない。
ただ、会社には構造上の限界がある。
そこを見ずに、会社に「全部分かってほしい」「全部説明してほしい」「全員が納得できるようにしてほしい」と期待し続けると、自分の気持ちが持たない。
諦めるとは、その限界を認識することである。
諦めなくていいこと
一方で、諦めなくていいこともある。
むしろ、ここを諦めてはいけない。
まず、自分の生活を守ること。
会社は大事である。
仕事も大事である。
役割を果たすことも大事である。
しかし、自分の生活を壊してまで会社に合わせ続ける必要はない。
家族。
睡眠。
住まい。
通勤。
お金。
日々の生活リズム。
これらは、仕事を続ける土台である。
次に、健康を守ること。
体調を崩してまで働くことは、美談ではない。
メンタルを壊してまで責任を背負うことも、美談ではない。
会社員として長く働くには、健康が必要である。
無理をして一時的に乗り切ることはある。
しかし、それが常態化しているなら、線を引く必要がある。
選択肢を持つことも、諦めなくていい。
今の会社に残るかどうか。
管理職になるかどうか。
転職するかどうか。
副業をするかどうか。
資格を取るかどうか。
学び直すかどうか。
すぐに動く必要はない。
ただし、選択肢を持つことまで諦める必要はない。
外を見ないまま、今の会社だけを世界のすべてにすると、会社の判断が自分の人生全体を決めるように感じてしまう。
説明を求めることも、諦めなくていい。
評価の理由。
期待されている役割。
業務量の調整。
異動の背景。
制度上の扱い。
今後の見通し。
すべてが説明されるとは限らない。
それでも、確認することはできる。
説明を求めることは、反抗ではない。
会社を責めることでもない。
自分の立ち位置を確認するための行動である。
自分の役割を確認することも、諦めなくていい。
何を期待されているのか。
どこまでが自分の責任なのか。
何を優先すべきなのか。
どこから上司に判断を上げるべきなのか。
ここが曖昧だと、必要以上に背負い込む。
役割を確認することは、自分を守ることでもある。
学び直すことも、諦めなくていい。
会社の中で求められる役割は変わる。
年齢を重ねれば、同じ仕事のままではいられないこともある。
制度、会計、労務、IT、マネジメント、専門知識。
何を学ぶかは人によって違う。
ただ、学び直す余地まで手放す必要はない。
外の世界を見ることも、諦めなくていい。
転職する必要はない。
副業を始める必要もない。
資格を取れば解決するわけでもない。
それでも、外の情報を見ることには意味がある。
自分の経験は外でどう見えるのか。
他社では何が求められているのか。
同じ職種の人はどう働いているのか。
今の会社の当たり前は、外でも当たり前なのか。
これを知るだけでも、会社との距離感は変わる。
そして何より、自分の人生の主体を手放さないこと。
会社員は、会社の制度の中で働く。
評価される側である。
配置される側でもある。
会社の方針に影響を受ける。
それでも、自分の人生そのものを会社に預ける必要はない。
会社員であることと、自分の人生の主体を持つことは両立する。
ここは、諦めなくていい。
諦めと放棄は違う
ここで分けておきたいことがある。
諦めと放棄は違う。
諦めるとは、構造上変えにくいものを見極めることである。
評価が完全に納得できることは難しい。
全員が公平に感じることも難しい。
会社がすべて説明してくれることも期待しすぎない方がよい。
上司が常に正しく理解してくれるとも限らない。
これらを理解することは、諦めである。
一方で、放棄とは、自分の判断や行動を手放すことである。
どうせ会社は変わらない。
どうせ評価されない。
どうせ何を言っても無駄。
どうせ自分には選択肢がない。
そう考えて、確認することも、学ぶことも、選ぶこともやめてしまう。
これは、諦めではなく放棄である。
会社員に必要なのは、放棄ではない。
線引きである。
変えにくいものは、変えにくいものとして見る。
守るべきものは、守るべきものとして見る。
自分の役割ではないものまで背負わない。
ただし、自分の人生の判断まで会社に預けない。
この線引きが必要になる。
諦めるべきことを諦めると、会社への過剰な期待が減る。
諦めなくていいことを諦めないと、自分の主体性が残る。
この二つを分けることが大事である。
期待を減らすと、行動しやすくなる
会社への期待を減らすことは、やる気を失うことではない。
むしろ、行動しやすくなることがある。
会社がすべて説明してくれると期待しない。
だから、自分で構造を読む。
分からないことは確認する。
上司に聞く。
制度を調べる。
評価基準を整理する。
評価が完全に納得できるものだと期待しない。
だから、評価を人格と切り離す。
評価結果から、次に何を見られているのかを考える。
足りない材料を集める。
今の会社で評価される方向と、自分が進みたい方向を分けて見る。
上司が常に理解してくれると期待しない。
だから、伝え方を整える。
事実と感情を分ける。
何を判断してほしいのかを明確にする。
自分の役割や業務量を言語化する。
会社が自分の人生を守り切ってくれると期待しない。
だから、自分の選択肢を増やす。
学び直す。
外の情報を見る。
健康を守る。
生活を整える。
期待を減らすと、冷たくなるように見えるかもしれない。
しかし、実際には逆である。
期待しすぎていると、会社の判断に振り回される。
会社に分かってもらえないたびに傷つく。
評価や異動を、自分への裏切りとして受け取りやすくなる。
期待を少し減らすと、会社を現実的に見られる。
会社に任せること。
自分で確認すること。
自分で守ること。
外に材料を取りに行くこと。
これらを分けられる。
期待を減らすことは、会社を嫌いになることではない。
会社に依存しすぎず、会社を敵視しすぎず、使えるものは使うための前提である。
諦めるべきことを諦め、諦めなくていいことを諦めない
会社員として働く以上、諦めるべきことはある。
会社がすべて説明してくれること。
評価が完全に納得できること。
全員が公平に感じること。
自分の事情が常に優先されること。
会社が自分の人生を守り切ってくれること。
上司が常に正しく理解してくれること。
制度が完璧に運用されること。
これらを期待しすぎると、会社員生活は必要以上につらくなる。
会社は全体最適で動く。
制度には限界がある。
評価には原資や調整がある。
人事も上司も万能ではない。
全員を納得させることは難しい。
これは、会社を悪者にする話ではない。
会社という構造を理解する話である。
一方で、諦めなくていいこともある。
自分の生活を守ること。
健康を守ること。
選択肢を持つこと。
説明を求めること。
自分の役割を確認すること。
学び直すこと。
外の世界を見ること。
自分の人生の主体を手放さないこと。
ここまで諦める必要はない。
会社員だから仕方ない。
会社にいる以上、我慢するしかない。
自分には選択肢がない。
そう考える必要はない。
諦めるとは、負けることではない。
変えにくいものと、守るべきものを分けることである。
会社に期待しすぎない。
でも、自分の人生まで諦めない。
会社を敵視しない。
でも、自分を会社に明け渡さない。
会社の制度の中で働く。
でも、自分の選択肢は持ち続ける。
この線引きができると、会社員という立場の見え方は少し変わる。
会社員は、自由ではない。
評価される側であり、配置される側であり、制度の中で働く立場である。
しかし、会社員には使えるものもある。
安定した収入。
社会保険。
会社の信用。
組織のリソース。
経験の機会。
人との接点。
一人では関われない規模の仕事。
変えにくいものを諦めると、これらを少し冷静に見られるようになる。
次の記事では、ここまでを踏まえて、シリーズ④の一つの結論に進む。
会社員は意外と悪くない。
ただし、それは会社に人生を預けるという意味ではない。
会社という構造を理解し、距離感を取り、責任とフェアを見極め、諦めるものと諦めないものを分けたうえでの結論である。


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