「責任」という言葉は重すぎる
責任を持て。
責任感が足りない。
もっと当事者意識を持て。
最後まで責任を持ってやれ。
会社で働いていると、「責任」という言葉は何度も出てくる。
しかし、この言葉はかなり重い。
責任だけ取らされる気がする。
権限はないのに責任はある。
どこまで自分の責任なのか分からない。
管理職になったら何が変わるのか不安。
会社員の責任って結局何なのか。
そう感じる人は少なくない。
責任という言葉は、便利である。
何か問題が起きたとき。
仕事が中途半端なとき。
部下が期待通りに動かないとき。
トラブルの原因がはっきりしないとき。
会社として誰かに引き受けてもらいたいとき。
「責任」という言葉を使えば、話がまとまったように見える。
しかし、責任の中身が曖昧なまま使われると、会社員は苦しくなる。
何を決める責任なのか。
何を説明する責任なのか。
何を防ぐ責任なのか。
どこまでが自分の職位に基づく責任なのか。
どこからが会社全体の責任なのか。
どこからが自分が勝手に背負っているものなのか。
ここが整理されないまま、「責任を持て」と言われる。
だから重く感じる。
責任は、気合いや覚悟だけで扱うものではない。
会社員の責任は、権限、役割、契約、期待の構造で整理する必要がある。
責任を否定する必要はない。
ただし、責任の範囲を曖昧にしたまま背負い続ける必要もない。
責任は一つではない
責任という言葉は、一つに見えて、実際には複数の意味を持っている。
決裁した人の責任。
現場で作業した人の責任。
管理する人の責任。
説明する人の責任。
会社の看板を背負う責任。
ルールを守る責任。
期待された役割を果たす責任。
これらはすべて「責任」と呼ばれる。
しかし、中身は違う。
ここを分けずに考えると混乱する。
たとえば、ミスが起きたとき。
実際に作業した人の責任がある。
確認した人の責任もある。
承認した人の責任もある。
仕組みを作った部署の責任もある。
教育が足りなかった管理者の責任もある。
人員不足を放置した組織の責任もある。
それなのに、すべてを一人の責任として扱うと、話がおかしくなる。
逆に、誰の責任でもないことにすると、改善も起きない。
だから、責任は分けて考える必要がある。
会社員にとって特に重要なのは、狭義の責任と広義の責任を分けることである。
狭義の責任とは、規程、決裁権、承認権限、職位、管理監督責任に基づく責任である。
広義の責任とは、会社員として会社のルールを守り、看板を背負い、規範意識を持って働く責任である。
この二つを同じものとして扱うと、会社員は必要以上に責任を背負いやすくなる。
責任は一つではない。
まず、この前提を置く必要がある。
狭義の責任:規程・決裁権に基づく責任
狭義の責任は、会社の中で明確に定められている責任である。
決裁権。
承認権限。
管理監督責任。
職位に基づく責任。
規程上の責任。
業務分掌上の責任。
これらは、会社のルールや組織上の役割に基づいている。
たとえば、一定金額以上の支出を承認する責任。
部下の労働時間を管理する責任。
安全衛生を管理する責任。
部署の数字を管理する責任。
契約や稟議を確認する責任。
会社方針を現場に展開する責任。
こうした責任は、職位や権限と結びついている。
非管理職の場合、この狭義の責任に直接関わらない部分も多い。
もちろん、担当業務を正確に進める責任はある。
報告する責任もある。
ルールを守る責任もある。
しかし、最終承認や管理監督責任まで負うとは限らない。
一方で、管理職になると、この狭義の責任が重くなる。
自分の仕事だけではなく、部下やチームの仕事を見る。
労働時間を管理する。
トラブルを把握する。
会社方針を伝える。
評価や育成に関わる。
場合によっては、決裁や承認も行う。
ここで責任の質が変わる。
重要なのは、狭義の責任は本来、権限とセットであるということだ。
決める権限があるから、決めたことへの責任がある。
承認する権限があるから、承認したことへの責任がある。
管理する立場だから、管理上の責任がある。
責任だけがあり、権限がまったくない状態は、構造としてかなり苦しい。
管理職がつらくなりやすい理由の一つもここにある。
責任はある。
しかし、人員を増やせない。
予算を自由に使えない。
制度を変えられない。
評価も最終的には調整される。
この状態では、責任と権限のバランスが崩れる。
狭義の責任を見るときは、必ず権限とセットで考えた方がよい。
何を決める権限があるのか。
何を承認できるのか。
どこまで管理できるのか。
どこから上司や会社の判断になるのか。
ここを確認しないまま責任だけを背負うと、会社員はつらくなる。
広義の責任:会社員全員に関わる責任
一方で、責任は管理職だけのものではない。
非管理職にも責任はある。
それが広義の責任である。
会社の看板を背負う。
会社のルールを守る。
規範意識を持つ。
コンプライアンスを守る。
情報管理をする。
顧客や取引先に誠実に対応する。
後輩や周囲に悪い影響を与えない。
会社の一員として信用を損なわない。
これらは、会社員全員に関わる責任である。
管理職でなくても、会社名を背負って仕事をしている。
顧客から見れば、担当者が管理職かどうかは関係ない。
取引先から見れば、その人の対応が会社の対応に見える。
社外での発言や情報管理も、会社の信用に関わる。
社内でも同じである。
ルールを守らない。
報告しない。
情報を雑に扱う。
他人に責任を押しつける。
後輩に悪い見本を見せる。
コンプライアンスを軽く見る。
こうした行動は、管理職でなくても問題になる。
だから、非管理職だから責任がないというわけではない。
会社員である以上、最低限の責任はある。
ただし、ここでも注意が必要である。
広義の責任は、際限なく広がりやすい。
会社のためにもっと頑張るべき。
周囲のためにもっと背負うべき。
後輩の面倒も見るべき。
部署全体の雰囲気も良くするべき。
上司が見ていないところも自分が支えるべき。
こうして、どんどん責任が増えていく。
もちろん、周囲を支えることは悪くない。
後輩を助けることも価値がある。
会社の信用を守ることも大事である。
しかし、それが自分の役割や権限を超えて広がりすぎると、つらくなる。
広義の責任は大切である。
だが、無制限ではない。
会社員全員に関わる責任と、自分が個別に背負うべき責任は分けた方がよい。
責任と権限がズレるとつらくなる
会社員が責任で苦しくなるのは、責任があるからだけではない。
責任と権限がズレるときに、特につらくなる。
決める権限はない。
しかし、責任は問われる。
人を増やせない。
しかし、納期遅れの説明は求められる。
予算を使えない。
しかし、改善しろと言われる。
制度を変えられない。
しかし、現場の不満は受け止めなければならない。
評価を決められない。
しかし、部下には評価理由を説明しなければならない。
こうしたズレは、現場で起きやすい。
非管理職でも起こる。
たとえば、担当者として仕事を任されているが、必要な情報が渡されない。
関係部署を動かす権限はないのに、納期責任だけ持たされる。
上司の判断が遅いのに、現場では自分が責められる。
自分では決められない条件で、顧客や取引先に説明しなければならない。
こうなると、責任だけが重く感じる。
管理職になると、このズレはさらに大きくなることがある。
チームの数字を求められる。
しかし、人員は足りない。
部下のケアを求められる。
しかし、時間がない。
コンプライアンスを徹底しろと言われる。
しかし、現場の業務量は減らない。
責任が増えること自体よりも、責任に見合う権限、時間、情報、評価がないことが問題になる。
責任が曖昧なまま広がると、会社員は疲弊する。
何が自分の責任なのか。
何は上司が判断すべきことなのか。
何は会社の制度や体制の問題なのか。
何は関係部署と調整すべきことなのか。
ここを分けないと、全部を自分の責任として抱え込むことになる。
責任感が強い人ほど、この罠に入りやすい。
自分が何とかしなければならない。
自分が止めたら迷惑がかかる。
自分が我慢すれば済む。
自分が説明すればよい。
そうやって背負い続ける。
だが、会社は一人で支えるものではない。
責任は、役割と権限に応じて分配されるべきものである。
この視点を持たないと、会社員は必要以上につらくなる。
雇用契約の範囲と期待役割の範囲を分ける
責任を考えるとき、もう一つ分けるべきものがある。
契約上やるべきこと。
会社から期待されていること。
自分が勝手に背負っていること。
この三つである。
まず、契約上やるべきことがある。
会社員は、会社と雇用契約を結んで働いている。
会社の指揮命令のもとで労務を提供し、その対価として給与を受け取る。
就業規則、職務分掌、業務命令、社内規程などに基づいて、やるべき仕事がある。
これは、会社員としての基本である。
次に、会社から期待されていることがある。
これは、契約や規程だけでは書き切れない。
中堅社員として後輩を見てほしい。
チームの安定に貢献してほしい。
難しい案件を任せたい。
部署間調整をしてほしい。
将来の管理職候補として動いてほしい。
専門性を高めてほしい。
こうした期待役割である。
期待役割は、明文化されていないことも多い。
だから、ズレが生まれる。
会社は期待している。
本人は聞いていない。
上司は分かっているつもり。
本人は評価されていないと感じる。
このズレは、会社員のつらさにつながる。
そして三つ目が、自分が勝手に背負っていることである。
本来は上司が判断すべきこと。
本来は会社が体制を整えるべきこと。
本来は関係部署と分担すべきこと。
本来は本人同士で解決すべきこと。
それを、自分がすべて抱え込んでいる場合がある。
もちろん、主体的に動くことは悪くない。
しかし、自分が勝手に背負っている責任を、会社から求められている責任だと思い込むとつらくなる。
構造理解でクリアにすべきなのは、境界線である。
これは契約上の業務なのか。
会社から明確に期待されている役割なのか。
自分が良かれと思って背負っているだけなのか。
この三つを分ける。
分けたうえで、必要なら上司と確認する。
どこまで自分の役割か。
どこから上司に判断を上げるべきか。
何を優先すべきか。
何は今やらなくてよいか。
期待されている成果は何か。
責任の範囲は、頭の中だけで抱え込まず、言語化した方がよい。
管理職になると責任の質が変わる
管理職になると、責任の質が変わる。
これは、単に責任が重くなるという話ではない。
責任の深さと広さが変わる。
非管理職のときは、自分の仕事をきちんと進めることが中心になる。
もちろん、周囲との連携や後輩支援もある。
中堅社員であれば、一定の調整や指導も求められる。
それでも、基本は自分の担当範囲で成果を出すことが軸である。
管理職になると、そこに部下やチームが加わる。
自分が直接作業していない仕事にも関わる。
部下の成果を見る。
チームの数字を見る。
トラブルの初動を取る。
評価面談をする。
会社方針を伝える。
現場の不満を受け止める。
上層部に説明する。
つまり、自分の仕事だけではなくなる。
ここが大きい。
部下がミスをした。
自分が直接ミスをしたわけではない。
それでも、管理職として状況を把握し、再発防止を考え、必要な説明をする責任がある。
チームの数字が悪い。
自分一人の努力不足とは限らない。
それでも、管理職として原因を整理し、改善策を示す責任がある。
会社方針に部下が納得していない。
自分が決めた方針ではない。
それでも、管理職として伝え、現場で実行する責任がある。
ここに、管理職の難しさがある。
管理職は、自分が直接コントロールしていないことにも関わる。
もちろん、無限に責任を負うわけではない。
会社全体の制度を一人で変える責任はない。
経営判断そのものの責任をすべて負うわけではない。
部下の人生を丸ごと背負うわけでもない。
しかし、現場に近い管理者として、見ていなかった、知らなかった、聞いていなかったでは済みにくくなる。
責任の深さと広さが変わる。
管理職になる前に、この変化は理解しておいた方がよい。
責任を背負いすぎないための問い
責任を完全に避けることはできない。
会社員である以上、何らかの責任はある。
ただし、過剰に背負いすぎる必要はない。
責任を背負いすぎないためには、いくつかの問いを持っておくとよい。
これは契約上の責任か
まず、契約上やるべきことなのかを見る。
自分の担当業務なのか。
会社の指示に基づく業務なのか。
就業規則や職務分掌に関係することなのか。
業務命令として引き受けていることなのか。
ここが責任の土台になる。
これは職位上の責任か
次に、職位上の責任かを見る。
自分に決裁権があるのか。
承認者なのか。
管理監督する立場なのか。
部下を評価する立場なのか。
労務管理を担う立場なのか。
職位に基づく責任なら、逃げずに向き合う必要がある。
ただし、職位上の責任でないなら、どこまで関わるべきかを確認した方がよい。
これは期待役割か
会社から明確に期待されている役割かを見る。
中堅社員として期待されているのか。
次の役職候補として見られているのか。
専門性を期待されているのか。
調整役として期待されているのか。
期待役割は曖昧になりやすい。
だからこそ、上司とすり合わせる必要がある。
自分が勝手に背負っていないか
責任感が強い人ほど、自分が勝手に背負っていることに気づきにくい。
本当は上司が決めることではないか。
本当は会社が体制を整えるべきことではないか。
本当は本人が向き合うべき問題ではないか。
本当は関係部署と分担すべきことではないか。
ここを確認する。
自分が助けたいと思っていることと、自分が責任を負うべきことは違う。
上司や会社が判断すべきことではないか
最後に、上司や会社に上げるべきことかを見る。
自分で抱え続けるより、判断を上げた方がよいことがある。
人員不足。
制度上の限界。
予算不足。
部署間の対立。
評価や処遇に関わる問題。
労務リスク。
コンプライアンス上の懸念。
これらを一担当者や一管理職だけで抱えるのは危うい。
責任を持つことと、適切にエスカレーションすることは矛盾しない。
むしろ、上げるべきものを上げることも責任である。
責任を持つには、範囲を言語化する必要がある
責任を否定する必要はない。
会社員として働く以上、責任はある。
担当業務を進める責任。
報告する責任。
ルールを守る責任。
会社の信用を損なわない責任。
期待された役割に向き合う責任。
管理職になれば、さらに責任は広がる。
部下を見る責任。
チームの成果を見る責任。
説明する責任。
会社方針を現場に伝える責任。
労務管理やコンプライアンスに関わる責任。
責任そのものが悪いわけではない。
責任があるから、仕事には意味が生まれる。
任されるから、経験も積める。
責任を持つから、信頼も生まれる。
ただし、責任感を美化しすぎるのは危うい。
責任があるなら、権限も必要である。
責任があるなら、情報も必要である。
責任があるなら、説明も必要である。
責任があるなら、評価との接続も必要である。
責任だけを曖昧に広げると、会社員はつらくなる。
だから、責任の範囲を言語化する。
これは契約上の責任なのか。
職位上の責任なのか。
期待役割なのか。
広義の会社員としての責任なのか。
自分が勝手に背負っているものなのか。
ここを分ける。
責任を持つとは、何でも背負うことではない。
自分の役割として引き受けるものと、上司や会社に判断を上げるものを分けることである。
責任を放棄しない。
ただし、過剰に背負いすぎない。
この距離感が、会社員には必要である。
次の記事では、会社におけるフェアを扱う。
責任の話をするとき、どうしても「自分ばかり背負っている」「会社は分かってくれない」「あの人は楽をしている」と感じる場面が出てくる。
その感覚は無理に消さなくてよい。
ただし、自分にとってつらいと感じることと、現状を冷静に確認することは分けた方がよい。
会社員として働いていると、物事にはほとんどの場合、表と裏がある。
責任と権限。
昇進と負荷。
会社の建前と本音。
個人の納得と、会社としての説明可能性。
自分にとっての不公平感と、制度としての公平性。
どちらか一方だけを見ると、見え方は偏る。
会社におけるフェアとは、全員を同じ扱いにすることだけではない。
自分にとって都合のよい面だけでなく、都合の悪い面も含めて、物事を両面から見る姿勢でもある。
次の記事では、会社におけるフェアとは何かを扱う。
平等とは何が違うのか。
会社が考えるフェアと、従業員が感じるフェアはなぜズレるのか。
その構造を見ていく。


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