「管理職になりたくない」は珍しくない
管理職になっても、給料がそこまで増えない。
責任だけ増える。
部下のケアまで求められる。
上からも下からも詰められる。
正直、罰ゲームに見える。
30代、40代の会社員であれば、一度はこう感じたことがあるかもしれない。
昔は、昇進は分かりやすい成功だった。
役職が上がる。
給料が上がる。
権限が増える。
周囲から認められる。
会社員として一段上に進んだように見える。
もちろん、今でも昇進に価値はある。
管理職になることで、見える世界は広がる。
会社の意思決定に近づく。
大きな仕事に関われる。
部下を育てる経験も得られる。
自分一人では出せない成果を、組織を通じて出す立場にもなる。
だから、管理職そのものを否定する必要はない。
ただし、今の会社員にとって、管理職は単純な成功には見えにくくなっている。
責任は増える。
調整も増える。
部下のケアも増える。
コンプライアンス対応も増える。
数字も求められる。
それでいて、権限や報酬が十分に増えるとは限らない。
そう考えると、「管理職になりたくない」という感覚を、単なる甘えとして片づけるのは雑である。
管理職が罰ゲームに見えるのは、本人の覚悟不足だけではない。
管理職という役割に、さまざまな負荷が集中しやすい構造がある。
まずは、そこを冷静に見た方がよい。
管理職に求められるものが増えすぎている
管理職に求められるものは多い。
まず、数字責任がある。
売上、利益、生産性、品質、納期、コスト、人件費、残業時間。
職種や部署によって違いはあるが、管理職になると何らかの数字を背負うことになる。
自分が手を動かして成果を出すだけでは足りない。
チームや部署として成果を出すことを求められる。
次に、部下育成がある。
部下の仕事を見て、任せて、育てる。
できない部分を補う。
ミスがあればフォローする。
評価面談をする。
本人のキャリアやモチベーションにも向き合う。
さらに、ハラスメント防止もある。
言い方に気をつける。
指導とパワハラの境界を意識する。
メンバー間の問題にも目を配る。
相談があれば対応する。
問題を放置すれば、管理責任を問われる。
メンタルケアも求められる。
部下の不調に気づく。
負荷が偏っていないかを見る。
休職や復職に関わる。
働き方や家庭事情への配慮も求められる。
コンプライアンスもある。
法令違反を防ぐ。
不正を見逃さない。
労働時間を管理する。
情報管理を徹底する。
会社のルールを現場に落とし込む。
現場調整もある。
人が足りない。
納期が厳しい。
他部署と利害がぶつかる。
本社の方針と現場の実態がズレる。
それでも仕事を回さなければならない。
上層部対応もある。
報告する。
説明する。
数字の理由を求められる。
改善策を出す。
方針変更を現場に伝える。
人材流出防止もある。
辞めそうな人に気づく。
不満を聞く。
配置を考える。
やりがいを作る。
それでも辞める人は辞める。
さらに厄介なのは、管理職になってもプレイヤー業務が残ることだ。
本来なら、管理職は管理に集中する立場である。
しかし実際には、現場の仕事も抱えたまま、管理職業務も上乗せされることがある。
自分の担当業務を持つ。
部下の業務も見る。
会議に出る。
資料を作る。
上司に報告する。
部下の相談も受ける。
こうなると、管理職というより、プレイヤー兼調整役兼相談窓口兼責任者になる。
負荷が大きくなるのは当然である。
一方で、権限はそこまで強くない
管理職というと、権限があるように見える。
部下に指示できる。
評価できる。
仕事を割り振れる。
会議で発言できる。
会社側に近い立場に見える。
たしかに、非管理職より権限は増える。
しかし、実際には自由に決められることばかりではない。
人員を自由に増やせるわけではない。
現場が忙しくても、すぐに採用できるとは限らない。
人員補充を希望しても、予算や採用状況で通らないことがある。
派遣や外注を使いたくても、コスト制約がある。
予算を自由に使えるわけでもない。
設備を入れたい。
システムを改善したい。
教育費を使いたい。
外部サービスを導入したい。
そう思っても、決裁権限や投資判断の壁がある。
評価権限にも制約がある。
管理職が高く評価したいと思っても、最終決定は部門内調整や人事制度に左右されることがある。
評価原資が限られていることもある。
等級や役職の枠があることもある。
制度を自由に変えられるわけでもない。
労働時間制度。
賃金制度。
評価制度。
人員配置ルール。
社内規程。
これらは、現場の管理職が一人で変えられるものではない。
それでも、部下からは説明を求められる。
なぜ評価が上がらないのか。
なぜ人が増えないのか。
なぜこの方針なのか。
なぜ残業を減らせと言いながら仕事は減らないのか。
なぜ制度は現場に合っていないのか。
管理職は、決めた本人ではないことまで説明する立場になる。
ここに苦しさがある。
決める権限より、説明する責任が重い。
管理職が罰ゲームに見える理由の一つは、ここにある。
責任は増える。
だが、変えられる範囲は限られている。
このズレが、管理職のつらさを大きくする。
報酬とのバランスが見えにくい
管理職になるなら、報酬が大きく増える。
そうであれば、責任が増えることにも一定の納得はしやすい。
しかし現実には、報酬とのバランスが見えにくいことがある。
管理職になると、残業代が出なくなる場合がある。
役職手当はつくが、手取りで見ると大きく増えた実感がない場合もある。
税金や社会保険料の影響で、額面ほど増えたように感じないこともある。
一方で、負荷は分かりやすく増える。
会議が増える。
報告が増える。
部下対応が増える。
トラブル対応が増える。
休日や夜間にも頭から仕事が離れにくくなる。
自分の業務だけでなく、チーム全体の結果を見なければならなくなる。
報酬が増えたとしても、その増加分が精神的負荷に見合っているかは別問題である。
ここで、いわゆる管理職のコスパ問題が起きる。
この言い方はあまり品がよくないかもしれない。
しかし、30代、40代の会社員がそう感じること自体は理解できる。
責任が増える。
時間の自由が減る。
部下の問題も背負う。
上からも下からも説明を求められる。
それでいて、生活が大きく楽になるほど給料が増えるわけではない。
そう見えれば、昇進に慎重になるのは自然である。
もちろん、報酬だけで管理職の価値は測れない。
経験が得られる。
裁量が増える。
経営に近い視点が持てる。
組織を動かす力がつく。
将来のキャリアの選択肢が広がる。
そういう面もある。
ただ、会社員が昇進を考えるとき、報酬と負荷のバランスを気にするのは当然である。
管理職を精神論だけで引き受けるには、今の仕事環境は複雑になりすぎている。
管理職は「会社側」に近づく
管理職になると、非管理職とは見える世界が変わる。
それまでは、会社の判断を受ける側だった。
評価される側。
異動を命じられる側。
制度を使う側。
方針を聞く側。
しかし管理職になると、会社の判断を伝える側になる。
評価を伝える。
異動や配置の理由を説明する。
会社方針を現場に落とし込む。
部下の不満を受け止める。
一方で、上層部には数字や改善策を説明する。
ここで、立場が変わる。
部下からは「会社側の人間」に見られやすくなる。
なぜ分かってくれないのか。
なぜ上に言ってくれないのか。
なぜ現場の味方をしてくれないのか。
なぜ会社の都合ばかり言うのか。
そう見られることがある。
一方で、上から見れば、管理職は現場を動かす責任者である。
なぜ数字が出ないのか。
なぜ残業が減らないのか。
なぜ部下を育てられないのか。
なぜトラブルを事前に防げなかったのか。
なぜ現場をまとめられないのか。
こうして、管理職は上と下の間に立つ。
会社の方針を実行しなければならない。
部下の感情も受け止めなければならない。
現場の実態も分かっている。
しかし、会社の都合も無視できない。
ここに板挟みが生まれる。
管理職は、会社側に近づく。
ただし、会社そのものになるわけではない。
経営者ほどの権限があるわけではない。
人事制度を自由に変えられるわけでもない。
予算を好きに使えるわけでもない。
人員を自由に動かせるわけでもない。
それでも、部下からは会社側に見える。
上からは現場責任者として見られる。
この中間的な立場が、管理職を難しくしている。
管理職が罰ゲーム化する構造
管理職が罰ゲームに見える背景には、いくつかのズレがある。
責任が増える。
数字責任、部下育成、労務管理、コンプライアンス、トラブル対応、説明責任。
管理職になると、見る範囲が広がる。
次に、権限の制約がある。
人を増やせない。
予算を自由に使えない。
制度を変えられない。
評価も完全には自由にできない。
責任はあるが、打てる手は限られる。
さらに、報酬の不透明さがある。
給料は増えるかもしれない。
しかし、負荷に見合うかは分かりにくい。
残業代がなくなる場合もある。
手取り増が限定的に感じられることもある。
そのうえで、ケア負担が増える。
部下の不満。
メンタル不調。
育成。
ハラスメントへの配慮。
人間関係の調整。
退職リスク。
仕事そのものだけでなく、人の感情や状態にも向き合う必要がある。
最後に、説明責任が増える。
上には結果を説明する。
下には方針や評価を説明する。
他部署には調整を説明する。
人事には労務上の状況を説明する。
この構造を並べると、管理職のつらさはかなり見えやすくなる。
責任増加。
権限制約。
報酬の不透明さ。
ケア負担増。
説明責任増。
この流れの中で、管理職はつらくなる。
だから、管理職を見て「罰ゲームではないか」と感じる人がいても不思議ではない。
それは、管理職を軽く見ているからではない。
むしろ、管理職の現実的な負荷が見えているからこそ、そう感じる。
管理職になりたくないという感覚は、異常ではない。
構造的に説明できる感覚である。
それでも、管理職を避ければすべて解決するわけではない
ここまで見ると、管理職にならない方がよいように感じるかもしれない。
しかし、話はそこまで単純ではない。
管理職を避ければ、責任の一部は避けられる。
部下の評価や労務管理を直接背負わなくてよい。
上層部への説明責任も軽くなる。
会社側の立場に近づく負荷も減る。
それは事実である。
ただし、管理職を避けても、会社員としての課題がすべて消えるわけではない。
年齢を重ねれば、期待役割は変わる。
非管理職のままでも、後輩指導を求められる。
難しい仕事を任される。
専門性や安定した成果を求められる。
若手と同じ役割のままではいられない。
会社員は、同じ役割のまま年齢を重ねることが難しい。
管理職になるかどうかに関係なく、役割の更新は必要になる。
また、管理職経験には得られるものもある。
組織を見る視点。
数字を見る視点。
人を通じて成果を出す経験。
会社の意思決定に近づく経験。
経営や人事の論理を理解する経験。
これらは、簡単には得られない。
転職するにしても、社内で働き続けるにしても、副業や独立を考えるにしても、組織を動かす経験は価値になることがある。
だから、管理職は避けるべきだと決めつける必要はない。
同時に、管理職になるべきだと決めつける必要もない。
重要なのは、罰ゲームに見える理由を分解することだ。
何が不安なのか。
責任なのか。
報酬なのか。
部下対応なのか。
上司との板挟みなのか。
自分の生活との相性なのか。
今の会社の管理職像が合わないのか。
それを分けずに、ただ「管理職は嫌だ」と考えると、判断がぼやける。
逆に、会社から打診されたから何となく受けるのも危うい。
管理職は、気合いで引き受ける役割ではない。
役割変更として考える必要がある。
管理職になりたくない感覚は、甘えではない
管理職が罰ゲームに見えるのは、本人の覚悟不足だけではない。
現代の管理職には、多くのものが集中しやすい。
数字責任。
部下育成。
ハラスメント防止。
メンタルケア。
コンプライアンス。
現場調整。
上層部対応。
人材流出防止。
プレイヤー業務の残存。
一方で、権限は思ったほど強くない。
人員を自由に増やせない。
予算を自由に使えない。
制度を自由に変えられない。
評価にも制約がある。
さらに、報酬とのバランスも見えにくい。
残業代がなくなる場合がある。
手取り増が限定的な場合がある。
精神的負荷に見合わないと感じることもある。
そのうえで、管理職は会社側に近づく。
部下の感情を受け止めながら、会社の方針を実行する。
上からも下からも説明を求められる。
責任と権限の間に挟まれる。
この構造を見れば、「管理職になりたくない」と感じることは不自然ではない。
甘えではない。
逃げでもない。
現実を見たうえでの違和感である。
ただし、その感覚だけで結論を出すのも早い。
管理職を避けるのか。
受けるのか。
今の会社では避けるが、別の環境なら考えるのか。
専門職として役割を更新するのか。
非管理職のまま別の価値を作るのか。
考えるべきことは多い。
管理職は、成功の証だけではない。
同時に、罰ゲームだけでもない。
管理職とは、役割変更である。
責任、権限、報酬、生活、将来の選択肢。
それらを並べて、自分にとって引き受ける意味があるかを考える必要がある。
次の記事では、昇進するかどうかの判断基準を扱う。
管理職になりたくない感覚を否定するのではなく、その感覚を材料にする。
昇進を受けるか、断るか、保留するか。
それを感情だけではなく、判断軸で考えていく。


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